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C2C時代のブランディングデザイン
ナインアワーズがデザイン 人間が豊かに生きるための9時間(解説編)

2021年05月21日

ブランディングプランナーの細谷正人氏が新たな視点でブランディングデザインに切り込み、先進企業に取材する連載「C2C時代のブランディングデザイン」。カプセルホテル業界にデザインで新風を吹き込んだナインアワーズ(東京・千代田)を取り上げます。今回は解説編。

創業時からナインアワーズのクリエイティブディレクションとプロダクトデザインはDESIGN STUDIO S代表の柴田文江氏が担当。睡眠環境の最適化を目指す研究にも取り組み、カプセルユニットのバージョンアップも推進している(ナカサ&パートナーズ)

 ナインアワーズは毎日誰でも行う3つの基本行動に着目し、(1)汗を洗い流す、(2)眠る、(3)身支度をする、に重点を置いたコンセプトを持っています。ナインアワーズが考えるカプセルは全体的に落ち着いた雰囲気で、中にはコンセントやUSBポートや小物を置く小さなくぼみがあり、最小限ながら気が利いている印象です。さらに寝転がったときに見えるカプセルの天井は柔らかな曲線で、調節のできる照明は淡く、自分が胎児になったような気分になりそうです。3つの基本行動を時間に置き換えると、汗を洗い流すが1h(時間)+眠るが7h+身支度をするが1hとなり、3つを合わせて9h=ナインアワーズというわけです。

 24時間の中で考えてみると、8hを仕事、2hを通勤、2hを食事、3hを趣味やTVやインターネットと考えれば、健康で気持ちよく暮らすために必要な、残りの“9h”に着目したのはユニークかもしれません。宿泊施設として、空間的な記憶だけでなく、当たり前になっていた日々の暮らしのルーティンを見つめ直すための概括的な記憶をつくり上げようとしていると思います。単なる宿泊施設としてではなく、生活機能として俯瞰(ふかん)してみれば、その“9h”が都市生活にフィットする機能として用意されることによって、新しい滞在価値を提供することができるからです。

 前回のインタビュー編で、代表取締役の油井啓祐さんはナインアワーズで最も大切にしているのは「本当に豊かなものとは何か」という視点だと話してくれました。この“9h”は、私たちの生活の中でも、最も重要な時間なのでしょう。この“9h”を豊かにできれば、都市生活の中での人生や暮らし方が、もっと豊かになるのではないかという発想です。

 「秋葉原で僕の父がカプセルホテルをずっと1軒経営していて、突然亡くなってしまって相続することから始まったんですけど、そこに来ているお客さんたちを見ている中で、せいぜい滞在時間って10時間ぐらいしかなかったんですね。家に帰れなくて翌朝また早く出ていく人たちが使っていたので、そういうミニマルな片泊まりというか、ちょっと隣に泊まるみたいな休息に対してちょうどいいサービスをつくることが、都市の生活者の中の本当の豊かさにつながるんじゃないかと、そういうところから考え始めました」と油井さんは言います。

必要なこと以外は、街に委ねる

 ナインアワーズを語るうえで、もう1つのキーワードとして、“ちょうどいい”という言葉があります。例えば宿泊をする際、実際はホテル自体には短時間しか滞在していないというケースは多いでしょう。それを指して油井さんは、その使い方は“ちょうどよくない”と言います。9hを客観的に見たとき、効率的かつ機能的に滞在したいという思いや価値観に対して、ナインアワーズは“ちょうどよさ”を提供したいという考え方なのです。そして、その“ちょうどいいこと”が、その人にとっての本当の豊かさにつながると考えています。ナインアワーズでは、一般的なホテルにあるグレード感やステータスのようなヒエラルキーによるぜいたくな豊かさは徹底的に排除されています。装飾的なものは一切ありません。つまり、“ちょうどよさ”というのは、その人にとっての使いやすさみたいなものを指しているのです。顧客のニーズに合った、最高によい機能性や利便性があれば、それが本当の“豊かさ”につながるということでしょう。

建築・設計を手がける平田晃久氏によるナインアワーズのコンセプトビジュアル(画像提供/平田晃久建築設計事務所)

ナインアワーズ半蔵門。開放的な空間の中にカプセルユニットがある。カプセルが窓の外から見える景色と共存している(ナカサ&パートナーズ)

 ナインアワーズのコンセプト写真は実に面白いと思います。人が行き交う渋谷のスクランブル交差点の真ん中に、カプセルユニットが置かれコラージュされています。このようにカプセルは、人間にとって究極的にパーソナルなものであり、極限的にミニマムな空間だと思います。昔、原っぱや公園に、子供なら誰でも潜りたくなるような土管がありましたが、カプセルもそのようなものに近いかもしれません。ナインアワーズは、9hを豊かにするために、“カプセル”という徹底的に無駄を排除した機能を持っています。都市の雑踏の中に置かれているイメージのように、本当の豊かさとは何かを私たちに強く問いかけているのです。ナインアワーズのブランドが目指す原風景がこのビジュアルイメージにあると思います。

 「他の機能は街に委ねるということなんですね。だいたいホテルって閉じられたスペースの中に機能を完結しようとするんですが、うちはそうじゃなくて街の機能の中で足りてないものを補えばよくて、ご飯を食べに行ったりするのは外で。だから最近、飲料は売るようになったんですけど、最初造ったときはそれもなくて。自販機が外にあるんだからいいじゃんとか、そういう話だったんですよね。基本的には、そういうものは全部街にすでに存在しているものなので、僕らがそれを二重で持つ意味はないなと思ったんです」(油井さん)

 さらに、ナインアワーズには創業当時から、ブレーンとして主に2人のクリエイターが参画しています。クリエイティブディレクションとプロダクトデザインをDESIGN STUDIO S代表の柴田文江さん、サインとグラフィックデザインを廣村デザイン事務所代表の廣村正彰さんが油井さんと共にタッグを組んでいます。油井さんのパッションを信頼できるブレーンたちが整理していきながら、共に議論を積み重ねてナインアワーズの思想をつくり上げてきたプロセスには、独特のエネルギーを感じます。

都市空間の中で豊かを感じる“価値”とは何か

 ナインアワーズは、人の“価値”は多種多様であるという視点に立っています。消費者に選択の自由を与えることが必要だということを教えてくれます。例えば人間には、着過ぎてボロボロになってしまったTシャツを捨てずに大切に着るなど、そのときの気分や直観を大切にして物を選ぶことがあります。高級車に乗って100円ショップに行くという人もいるでしょう。豊かさを得るための選択肢の幅は格段に広がっていると思います。

 現在は、すべての人が自分なりの基準を持ち、さまざまなものやコトを編集して表現しているといえます。そして、自分なりに満足できる豊かな暮らしを形づくっているのでしょう。3万円のスウェットでも1980円のセーターでも、自分なりの基準や考え方があれば、豊かな“価値”を生みます。これからの生活者が、都市空間の中で豊かであると感じる“価値”とは何かを探し続けているのがナインアワーズです。単なる狭義な色や形のデザイン的な話ではなく、未来の社会にもつながる、暮らしや人間としてのあるべき姿を長期的視野で考えているのです。

 また最も注目したいのが、カプセルだけでなく、空間やアメニティー、案内サイン、コーヒーなど、どの部分を切りとっても、すべての接点で機能性があり、質にこだわって考え抜かれている点です。顧客の9時間を豊かな暮らしにしたいという思いから、こうした秀逸なタッチポイントづくりが生まれているのです。それは、私が持っていたカプセルホテルの負のイメージを払拭してくれました。つまり、ナインアワーズでの9hの体験のすべてが、カプセルでの概括的な記憶へと塗り替えられていく仕組みになっているのです。

シャンプーやコンディショナー、ボディーソープはTAMANOHADA(玉の肌石鹸、東京・墨田)がナインアワーズ限定で復刻生産したもの。こうした1つひとつのアメニティーにも気持ちよさがあり、装飾をそぎ落とし、機能を絞り込んで品質を研ぎ澄ませている(ナカサ&パートナーズ)

(ナカサ&パートナーズ)

サインとグラフィックデザインは、廣村デザイン事務所の廣村正彰氏が担当。9時間の体験を心地よくさせてくれるデザインだ(ナカサ&パートナーズ)

東京のスペシャルティーコーヒーをけん引する神保町「GLITCH COFFEE& ROASTERS」が運営するカフェコーナー。産地・農園や品種を吟味し、焙煎・抽出などコーヒーが口に入るまでのすべての工程をコントロール、果実感に満ちた繊細な1杯を提供。宿泊客以外も楽しめる。写真はナインアワーズ赤坂(ナカサ&パートナーズ)

7時間の豊かな“睡眠”を提供する

 「現時点で提供価値だと思っているのは、科学的に最適だと断言できる睡眠環境だと思います。そのためのバイタルデータの研究でもあるし、カプセルユニットの開発でもある」(油井さん)

 ナインアワーズは、3つの基本行動の中でも、特に7時間を占める“睡眠”に重点を置いているそうです。新型コロナウイルス感染症の拡大など、これだけ不確実性の高いことが起きると、生活者にとって寝ることの重要度は創業時よりも注目されてきているのでしょう。それは、現代人が安心して穏やかに寝る場所を探しているとも言えるでしょう。

 睡眠環境に重点が置かれていることはとてもユニークです。睡眠のメカニズムはいまだ解明されていないことが多いそうですが、その原因は睡眠に関するビッグデータがあまり存在していないからかもしれません。油井さんはその課題を解決するために、このカプセルユニットを活用することも考えています。そうすると、今のナインアワーズは最適な睡眠のためのショールームとなり、現代人にとって快適な睡眠を体験する場所に転換されていくかもしれません。

 睡眠という行為は、私たちが365日、生まれてから死ぬまで毎日行っている基本行動です。しかし、眠ることを改めて基本行動として大切に考えている生活者は少ないでしょう。実は人生の大部分の時間を睡眠に費やしています。その睡眠という生活行動に対して、顧客に「気持ちよく眠れた」という新しい概括的な記憶を与え、都市の中で最適な睡眠を考えるブランドとして、ナインアワーズのブランド・エクイティやビジョンが見えてきます。

 その7hの「気持ちよく眠れた」を支えるために、睡眠の前後にある汗を洗い流す1時間と身支度をする1時間をナインアワーズは大切にしています。だから、汗を洗い流すための品質にこだわったアメニティー、身支度をするための気持ちのよい空間やおいしいコーヒーが用意されているのです。日常の中にある装飾をそぎ落とし、機能を絞り込んで品質を研ぎ澄ませる。そうした睡眠をより良くする環境を、決して非日常的に用意するではなく、日常という形でナインアワーズは“ちょうどよく”内包しているのです。

 昔は一生懸命働いて、30年ローンを組んで小さくても首都圏にマイホームを建てるのが夢とされてきました。しかし、本当の豊かさを見つけようとしている人は、その夢自体を見直しているかもしれません。高いことが“価値”ではないし、人と同じ目標でなくてもよい。都会で満員電車に乗って通勤し、遅くまで働いて、所得を増やし続けて一生終えるより、若干所得は減るかもしれないけど自然環境が豊かな地方に住み、その土地の文化や産業、景色を楽しんで生きていくのも1つの“価値”です。そうした、人それぞれの“価値”や生き方を選択できる“自由”を、宿泊や睡眠において提案しているのがナインアワーズなのです。

 ナインアワーズは、宿泊だけでなく、リモートワークの疲れを癒やすための数時間の昼寝や、ランステーションとして活用することも促進しています。もっと私たちに、豊かな9時間に変えたいと思える習慣にまでつながれば、ナインアワーズの存在が豊かな睡眠や健康を実現してくれる9時間の原風景となるでしょう。それは、そう遠い未来ではありません。

筆者作成

 最後になりますが、「日経クロストレンド」のスタートと同時に2018年4月から始まったこの連載「C2C時代のブランディングデザイン」も今回をもって終了となります。おかげさまで皆様に支えられ、合計33回の長期連載となりました。そしてこの連載を通して、たくさんの方々にお会いすることができました。改めて、この連載取材に応えてくださった各企業の皆様には心より感謝を申し上げたいと思います。そして、この2年半を振り返るだけでも、C2CだけでなくD2CやOMOというデジタルマーケティングのキーワードも増え、ブランド価値の重要性もさらに注目されてきたように思います。さらに、この新型コロナによる生活様式の変化によって、今までのマーケティングやブランディングの手法や役割についても急激に変化しています。

 私は、時代がどんなに急激に変化しようとも、生活者の欲望は普遍的であると信じています。その手段がリアルであったり、デジタルであったりと進化しても、生活者の欲望を捉えてさえいれば、強いブランドはつくることができると思っています。この連載に登場していただいたすべての事例は、時代がどんなに変化しようとも変わることのない本質的なテーマを持って、最新のブランディングを行っています。決して、目の前にある結果を目指すのではなく、長期的視野でブランドを確立していくのだという強い覚悟を持って践している、そのチャレンジ精神に大変感銘を受けました。

 この連載が、皆様のブランディング戦略立案の一助となれば本望です。この場を借りて、長くお付き合いいただいた読者の皆様にもお礼を申し上げます。そして現在、この連載をまとめた書籍出版の実現に向けて準備していますので、ぜひそちらも楽しみにしてください。

(日経クロストレンド2020年10月28日掲載の内容を転載しています。)


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