2020年02月12日
細谷正人氏が先進企業のブランディングデザインに斬り込む連載「C2C時代のブランディングデザイン」。和菓子や洋菓子を製造・販売するたねやグループ(滋賀県近江八幡市)を3回にわたり取り上げています。今回は細谷氏による解説編。
自然と人の共生を表現した空間「ラ コリーナ近江八幡」(写真提供/たねや)
菓子の素材は自然の恵みからできているという考えの下、たねやグループはたねやの精神を伝える「場」として、自然と人の共生を表現した空間を「ラ コリーナ近江八幡」(以下、ラ コリーナ)をつくりました。八幡山から連なる丘ににあり、たねやが自ら木を植えました。ここには蛍が舞う小川の他、さまざまな生き物たちが棲(す)む田畑もあります。
そのような環境の中に、建築家・建築史家の藤森照信氏からアドバイスを受けた店舗があり、和・洋菓子のショップをはじめ、飲食店やマルシェ、さらには本社オフィスまでが自然と寄り添いながら存在しています。「自然に学ぶ」というたねやのコンセプトには、人々と自然がつながっていく場としてすべての空間が計画されています。年間311万人のお客さまが訪れ、インスタグラムなどのSNSでは、若年層や家族連れが「#ラ コリーナ近江八幡」や「#ラ コリーナ」で画像を載せています。現在インスタグラムの画像投稿数は約15万まで増加しているそうです。私もその圧倒的な人気の理由を知りたくて今回、ラ コリーナを訪問しました。
中でも私が最も注目したエリアがありました。ラ コリーナの敷地の奥にある関係者以外は立ち入り禁止の場所です。そこには、緩やかな弧を描く建物がありました。「農は藝(げい)術」であるという考えの下、一歩進んだ“農”の在り方を「たねや農藝」として実践している場です。
たねやが目指すのは、四季折々の野菜や果物作りを通して自然と共生する農業。この建物では、たねやのコンセプトである「自然に学ぶ」を体現する事業を行っているのです。たねやには農藝部門があり、3つの専門分野に分かれています。有機農法で米や野菜を作る「北之庄菜園」、景観づくりを行う「ラ コリーナ造園」、たねやの店舗に山野草の寄せ植えを届ける「愛四季苑(はしきえん)」です。「たねや農藝」の前身は、もともと自社でよもぎ団子を作るために、よもぎを栽培したことから始まった事業だといいます。
ラ コリーナの立ち入り禁止区内に入ると弧を描いた「たねや農藝」が見えてくる
中に入ると、鉢植えされた山野草が数多くある
菓子メーカーが農業まで行う理由は、原材料であるお米や小豆のほとんどが、農産物だからです。農業の大変さをたねや自身が知り、自らが体感することが必要だと考え、自社で農業をしているといいます。最終的には、試行錯誤しながら手作業で農作物を作ることで、有機や無農薬農法の知見を蓄積し、その農法を滋賀県内の農家に還元したいと考えているようです。
驚くべきは約500種類、約3万株もの山野草も育て、たねやの店舗に山野草の寄せ植えを届ける愛四季苑というチームの存在です。「和菓子は季節を取り入れ味わうものだからこそ、季節の山野草を店に飾ることでお客さまにも四季を感じていただきたい」という、たねやの思いから生まれた愛四季苑は約30年前、東京・中央の日本橋三越のたねや店舗に山野草を届けることからスタートしたそうです。
この直接的な利益を目指していない愛四季苑の事業にこそ、たねやのブランディングデザインの神髄が見え隠れしていると思いました。愛四季苑の活動そのものに、学びがあること、原体験や原風景があること、世の中の急激なスピードとは逆の「遅行的」とも言える視点があること、持続可能であることの4つが備わっています。
百貨店の店舗の中には、植物がほとんどありません。ラ コリーナの山野草を店頭に飾ることで、たねやのお菓子を買ってくださるお客さまに季節を体感していただくことができるというのです。また、店頭でのお客さまとのコミュニケーションツールでもあり、たねやの「自然に学ぶ」を店頭で象徴的に表現しているものであるとも言えます。
これらの山野草は、各店舗に送られる。愛四季苑では、各店舗に向けた山野草の鉢植えを毎週、納品して交換している。その数は約70鉢。左は東京・渋谷の東急百貨店本店のたねや店舗向けで、右は神戸市の神戸そごう向け
東京・中央の日本橋高島屋のたねや店頭にある山野草(写真提供/たねや)
一般的に菓子ブランドは、創業年数がブランドの強みへとつながります。たねやは、菓子の製造・販売を明治時代から145年以上続けてきていますが、一方で競合には創業約480年というブランドもあります。しかし、単なる創業年数による差異化では意味がありません。
愛四季苑の事業が正しく象徴しているように、山本昌仁CEO(最高経営責任者)の泥臭くてもいいという思いで代々伝わってきた考え方「自然に学ぶ」が、たねやの精神かつ唯一無二の独自性として表現されています。すべての社員が熟読するというたねやの「商いの心得」をまとめた「末廣正統苑(すえひろしょうとうえん)」と共に、経営に対する姿勢が結果的に地元近江商人の精神性「三方よし」に帰っていくという話は、大変興味深いものでした。
「末廣正統苑」(すえひろしょうとうえん)は、たねやの「商いの心得」をまとめたもので、すべての社員が熟読するという。社会人として学ぶもの、身につけるものは、その対価を払うことによって物を大事にするという考えが基礎になっている
末廣正統苑を持つ、たねやの山本昌仁CEO(最高経営責任者)
今後、SDGs(持続可能な開発目標)のような社会との関わり合いは必要不可欠となるでしょう。そのとき、菓子ブランドも創業年数による物差しではなく、近江商人の精神性である「売り手」「買い手」「世間」の「三方よし」がこれからのお客さまに共感されるであろうと考えている姿勢とその行動は、たねやブランドをさらに強固にしていきます。
ビジネスでSDGsについて議論されない日はありません。ブランディングデザインこそ同様の考え方が必要です。なぜなら生活者にとっても身近で自分の暮らしに直結する課題だからです。これからの時代の課題を解決するためには、1人ひとりの生活者自らが、できることを具体的に行動していくことが必要です。オフィスの中の理論で何かを説得するのではなく、分かりやすい行動によってリアルに表現していくことが大切です。
生活者は問題を解決し続けている具体的な行動に共感しています。その結果、三方よしが具現化されているラ コリーナは、年間311万人の集客を生み出す結果になっていると言えます。ブランドを考えるときに、私たちは具体的な行動よりも、手段を考えるのに時間をかけてしまいがちです。しかし手段に縛られ過ぎてしまうと実現できないケースも出てきます。そのような経験は誰しも、少なからずあるのではないでしょうか。
これからの時代に向けてブランドをつくるために、どんなことを大切にしているのか山本CEOに質問したところ、印象的な回答が返ってきました。「たねやは私の会社ではなく、4代目という私がほんの一時、お預かりしているブランドなのです」。つまり、自分の代だけが良ければいいということではなく、次の代にとって今は何をすべきかを考える経営、そしてそのブランドマネジメントこそが必要であるというのです。
同族で100年以上続く企業には、必ずこの考え方が根付いているのではないでしょうか。これこそが、100年続く企業が約3万2000社もあり、このうち上場企業では約530社もあるという日本の老舗ブランドの強みなのです。
一般的に、数年単位でブランドマネジャーやマーケティングディレクターが代わるケースが少なくありません。短期視点の結果を求めるだけでなく、急激なスピードとは逆の、いわば「遅行的」ともいえる時間軸の捉え方を組み入れることも、C2C時代のブランディングデザインにおいて必要であるということを実証しているよいケースだと言えます。同族経営ではなく、思想が継承されにくい事業の場合は、ブランドの価値を定義しておくことが、ブランドの維持に必要となることは言うまでもありません。
「自然に学ぶ」というたねやのブランドコンセプトは、さまざまな考え方を土台に表現されている(バニスターの細谷正人氏作成)
このように考えていくと、C2C時代の中にあっても、たねやのブランディングデザインはインスタグラムのフォロワー数やラ コリーナ内にインスタ映えするスポットを設けていることではありません。商品だけでなく、空間として季節や自然を感じることができ、お客さま1人ひとりの幸福度や満足度が向上していくという循環こそが、C2C時代に求められる価値でしょう。「本物」だけが継続的に人を呼び、さらに人を呼ぶという、当たり前のことを愚直に実践しているのです。
山本CEOはラ コリーナを建設するときにも藤森氏に「本物」を追求することが大切だと言われ続けたといいます。どんなに世の中がデジタル化されようとも、うそのない、まっとうなことを、素直に表裏なくやっていくことが大切だからです。きっと「まっとうな考え」は、「自然に学ぶ」の愛四季苑のような実践で得られるのでしょう。樹木のように、地道に少しずつ大きくなり続けた結果が100年後にブランドとして大きく花開いていきます。
AI(人工知能)が発達すれば当然、技術を使うこともいとわないのがこれからの時代。もちろん、時代の流れを読んで順応していくことは必要です。しかし、そこに人間がどう関わるか、課題に直面しているブランド戦略を考える際に、時間の流れをゆっくりと捉えて大局的に見つめる私たちの“勇気”こそが、人間にしかできない戦略になるのです。たねやの事例はC2C時代のブランディングデザインを考えるうえで、焦ることなく“時間軸”と“ブランド”の関係性を、もう一度、考える必要があることを教えてくれました。
(写真/行友重治)
(日経クロストレンド2019年06月14日掲載の内容を転載しています。)