2020年02月12日
細谷正人氏が新たな視点でブランディングデザインに斬り込み、先進企業を取材する連載「C2C時代のブランディングデザイン」。2回にわたって、町家を生かしたワコールの宿泊事業を取り上げます。今回は山口雅史副社長と楠木章弘町家営業部長へのインタビュー編。
写真の「京の温所(おんどころ)岡崎」の他、「釜座二条」「御幸町夷川」「麩屋町二条」の合計4軒の宿泊施設があり、一棟を貸し切りで提供。心が安らぐ豊かな時間を自由に過ごせるようデザインしている(写真提供/ワコール)
ワコールで新規事業を担当する山口雅史副社長
今回の事業を提案した楠木章弘町家営業部長
Q. 細谷正人氏 ワコールは2018年4月から、町家をリノベーションした「京の温所(おんどころ)岡崎」を含め、合計4軒の宿泊施設を京都市内にオープンしています。町家の価値を生かし、泊まるだけではなく、京都に暮らしているような体験を提供しているともいえるでしょう。ネーミングやコンセプト、ロゴデザインの監修を著名なデザイナーの皆川明氏が担当するなど、多くのクリエイターが参加している点も注目されました。東京・青山の複合文化施設「スパイラル」を運営するグループ会社のワコールアートセンターと連携し、ワコールならではの視点で京都の魅力を発信しようとしていると聞きます。こうした宿泊施設を、なぜワコールが手掛けるのか。まずは背景や理由を教えてください。
A. 山口雅史氏(以下、山口) 当社はインナーウエアを中心にお客さまにさまざまな価値を提供する会社ですが、少子高齢化の進行やファストファッションの増加など、国内の市場は大きく変化しています。次の柱を育てるためにも、新しい事業開発にチャレンジしなくてはなりません。13年度から社内公募制度を立ち上げてアイデアを募集したところ、今回の町家を生かした宿泊事業の提案が楠木から出てきました。
楠木章弘氏(以下、楠木) もともとはスパイラルとの連携で、ワコールグループ全体のシナジー効果を何か出せないかというテーマで考えていました。それを実現するとともに社会課題を解決する事業を提案したいと思案していたところ、社会との共存が重要になると考え、京都が抱えている課題である町家の減少問題が浮かび上がってきたのです。京都の景観が危機的な状況にあると知り、何とか町家を保全し活用できないかと考え、リノベーションした宿泊事業に結び付きました。
山口 ワコールの事業は女性を美しくするというのが最大のテーマで、美はもちろんですが、健康や快適さを提供し続けていく、というのもミッションです。今回の町家の事業は当社の事業領域に、100%ではありませんが、かなり重なる部分がありました。多くの町家は空き家になったり、マンションや駐車場になったりしていますし、京都の古き良き街並みがどんどんなくなっていく。当社は京都に生まれ、京都に育ててもらった企業なので、京都に対して恩返しをしないといけないという意識もありました。そこで京都の魅力度がアップする事業として、さらにワコールのブランドや企業イメージが向上し、ワコールの新たな価値にもつながると思い、ゴーサインを出したのです。
もちろん事業として推進する以上、当社も利益を出さないと続けていけませんし、ワコールが手掛ける意義がお客さまに伝わらないと意味がありません。事業化に成功しなければ、当社のブランド価値にも影響を与えるでしょう。まずは約3年間で合計10軒ぐらいをオープンしたいと考えています。今後は稼働率を上げて採算ベースに乗せていきます。
Q. 宿泊事業は女性が求めるライフスタイルの提案にもつながります。ワコールのお客さまとも親和性が高いのではないでしょうか。
A. 楠木 おっしゃる通りです。京の温所は品質にこだわった施設ですから、ワコールの高品質なブランドに信頼を寄せていただいているお客さまと合うと思います。美や健康、快適さという当社のテーマにも親和性があります。美は施設の美しさに共通し、健康は心のゆとりであり、ほっとするイメージです。そして、美と健康が快適さにもつながっています。
町家の状況を調査すると、町家を使った飲食店は多いんですよ。しかし飲食店向けにリノベーションすると、厨房をつくったり全部吹き抜けにしたり、飲食店以外には使えなかったりします。当社は町家をお借りして宿泊施設としてリノベーションしているので、住居としてお返しすることができます。ライフスタイルの「衣・食・住」のうち、「衣」は手掛けてきているので、今回は「住」というわけです。
「岡崎」の門をくぐると、玄関まで長い路地が続くなど、隠れ家的な雰囲気も
内部も品質にこだわった。1階の座敷には雪見障子があり、庭を眺めることができる。床の間の置物も定期的に変えていく
Q. どんなお客さまをターゲットにしたのでしょうか。
A. 楠木 私が社内で事業構想をプレゼンテーションしたときから、「人文知」を重んじる方を狙っていました。簡単に言うと、文化に興味のある方です。伝統文化とかアートなどに関心を示す方をターゲットにしたいと。また、女性同士や3世代、ご夫婦などにお越しいただきたいと考えています。
山口 当社は品質にすごくこだわっています。それがお客さまとの信頼関係につながっています。だから、京の温所も品質にはすごくこだわった空間にして、庭も整備しました。まさにそこが当社でずっと大事にしてきたところだと思います。商品を「はい、どうぞ」とただ渡すのではなく、お客さまとの心のつながりや空間、文化が当社の価値になっている。
宿泊事業はワコールとは違うと言う方もいるかもしれませんが、実は同じです。今まではあまり考えてこなかっただけで、楠木が提案してくれたので気づきました。形は違いますが、我々がやりたいことは町家でも表現できます。単なる町家のリノベーションではなく、高品質な価値の提供こそがワコールの使命ですから、コンセプトやデザインには皆川さんをはじめ、有名な建築家の方にお手伝いいただいています。
Q. コンセプトづくりについて、皆川さんとはどんなことを話し合ったのですか。
A. 楠木 旅は非日常と言われますが、そうではなく、京都の日常を旅の中で体験してもらえるようにしたらどうか、という意見が皆川さんから出てきました。非日常ではなく、もう1つの日常をコンセプトにしましょうと。だから、キッチンも充実させるようにしました。皆川さんも料理がお好きで、自分で作られて社員に振る舞われたりするそうです。スパイラルのつながりから、皆川さんとは以前より接点があり、宿を手掛けたいと希望されていたので、今回の取り組みに結び付きました。
写真は「岡崎」のキッチン。町家を「宿」ではなく、京都で暮らすような感覚を味わえるようにしている。食器類など生活用品も高品質なものをそろえた。施設全体で、「京都」が日常に溶け込む暮らしへと誘っている
Q. 新しい事業を手掛けるとなると、今までとは違う苦労がありそうですが。
A. 楠木 清掃は外部に委託していますが、任せきりではなく、清掃後のチェックはもちろん、時にはメンバーで清掃もしています。代行サービスにお任せするだけではノウハウがたまりませんが、自ら実行することで見えてくることがたくさんあります。今は6人のメンバーで実行していますが、ノウハウがたまってきたら、委託できるところは依頼したいと思っています。
また、お客さまの荷物運びなども自分たちでやっています。京都駅の近くに受付オフィスがありますので、そこに荷物を持ってきていただき、午後4時までは自由に荷物なしで京都を観光してもらう間に私たちが車でお運びするというサービスをご提供しています。私も率先して布団を敷いたり、荷物を運んだりしています。
「岡崎」の2階にあるベッドルーム
Q. メーカーとは異なるお客さまのカスタマージャーニーを追いかけていくと、細かい点でいろいろなサービスが必要になるのですね。
A. 楠木 宿泊の予約時もメールで担当者が何回もお客さまとやりとりしているので、さまざまなニーズにお応えできます。どこへ行きたい、こんなものを食べたい、どこか紹介してほしい、といったことにもできる限り回答しています。
Q. メーカーとしてのワコールだけでなく、宿泊事業によってサービスを中心とした無形のブランド価値を生み出すという面も求められるのですね。
A. 山口 当社にはどれも新しい経験になっています。メーカーが空間とか時間とか情報みたいなものをサービスとして提供できるようになれば、今までとは別のワコールになっていくかもしれません。これまでのワコールでは、宿泊事業をやりたいという声は、まず上がってはこなかった。美や健康、快適というドメインにはずっとこだわってきていて、やっぱり女性を美しくという部分は揺るぎないものがありますから。
ただ、そう言いながらもマーケット環境の変化やインバウンドの増加など、京都の今後を考えると、いろいろな意味でタイミングがちょうどかみ合って今回、宿泊事業に結び付いたように思います。こうした経験をワコールの新しい価値として育てていきたいですね。
Q. 本日は楽しいお話、ありがとうございました。
インタビューするバニスターの細谷正人氏
京都を「日常」として体験できる新たなサービスを目指す「京の温所」
(写真/行友重治)
(日経クロストレンド2019年06月17日掲載の内容を転載しています。)