2018年07月01日
前回の中編では、ブランディングデザインの3つの課題について説明しました。ブランディングデザインにおける“デザイン”の役割が変化している以上、もはやロゴやCMなどの限定的な活動ではありません。かつて、創造性について米アップルのスティーブ・ジョブズがこんな言葉を述べていたといいます。「創造性とは結びつけることだ。クリエイティブな人々は多くの経験をしているか、もしくは自分の経験から多くのことを考えているからできる」。この発言からジョブズは、自らの個人的な経験や記憶から創造し、結びつけていくべきだと考えていることが分かります。思考の原点は「自分が顧客だったらどうするのか」という考え方で、自分自身を「尺度」としているのです。
一方、米IDEOの創設者でもあるデビッド・ケリーは「ユーザーの振る舞いを観察することによって、私たちはより良いショッピングカートをデザインする方法を学ぶ」と述べています。自らの経験から始めるのではなく、ユーザーの観察から新しい発想は生まれると考えています。思考の原点は「顧客の行動や気持ち」であり、ケリーはジョブズとは真逆の尺度を重視しているのです。
ただし愛着と記憶を高めることがブランディングデザインのゴールであるとすれば、ジョブズとケリーの異なる思考の原点は、どちらも正しいと考えることができます。なぜなら両者は、自分なのか、顧客なのか、その起点は異なるにせよ、「ヒューマンスケール」と呼ぶべき人間的な尺度を尊重して“デザイン”によって解決するという、強い意志をもったアプローチと言えるからです。
ブランド戦略を行う上で、自社の製品やサービスを顧客に想起させるためには、ブランド・イメージが必要です。中でも「ブランド・パーソナリティー」が重要になっています。ブランド・パーソナリティーを学術的に定義するならば「ある所定のブランドから連想される人間的特性の集合」(米経営学者・マーケティング理論家のデービッド・A・アーカー氏による定義)となります。役割が拡大しているブランディングデザインにとっても、人間的特性の集合であるブランド・パーソナリティーは、最も重要な役割であることは間違いありません。ただC2C時代におけるブランディングデザインは、ブランド・パーソナリティーを含みながらも、さらに連想されるための独自の特性が必要になると思います。それが人間的な尺度である「ヒューマンスケール」にあると私は考えています。
例えば米アマゾンは良いケースです。今ではオンライン店舗だけでなく、「Amazon Dash Button」や「Amazon Echo」「Amazon Go」など新しい“チャネル”も出現しています。顧客はアマゾン単体だけでなく多くのサービスに取り囲まれており、今後、顧客の周辺にあるさまざまな空間的な特性は、アマゾンによって大きな影響を及ぼされるようになるかもしれません。アマゾンのブランディングデザイン戦術を想像するに、もはやブランド・パーソナリティーを超えた独自の特性としての「ヒューマンスケール」が緻密に描かれているのではないでしょうか。
私の自宅のAmazon Dash Buttonは、洗剤が不足しないように洗濯機に貼り付けています。そのボタンを押すだけでスマートフォンに触ることなくアマゾンで購入することができます。Amazon Echoは食器を洗いながらニュースを聞くために、キッチン横に置かれています。毎朝、私は「アレクサ!」と呼びかけることから一日が始まります。これらは「家」という唯一無二のパーソナルな空間に侵食し、アマゾンのチャネルを顧客自らの手で埋め込んでいるのです。
そして同じ行為を繰り返し反復させることで、自分の経験にブランドの記憶を蘇らせようとしています。
筆者自宅のキッチン横にある「Amazon Echo Dot」
筆者自宅の洗濯機に貼り付けてある洗剤の「Amazon Dash Button」
顧客は決して、サービスの利便性の部分だけに満足しているわけではありません。自宅がAI(人工知能)の恩恵を受け、いつもの暮らしが少しだけ未来に近づき、豊かになったような気分が愛着を生み出します。それは反復と期待の経験によって生活習慣の一部になり、気が付くと思わず誰かに伝えたくなる要素に変化しているのです。「あっ、僕のAmazon Echo、キッチンの横に置いているよ」と。アマゾンは愛着とその記憶を高めるために、顧客のヒューマンスケールを利用し、パーソナルな空間になじもうとしているのではないでしょうか。顧客の行動や気持ちに寄り添った、新しいブランディングデザインを実践していると思います。
ヒューマンスケールは本来、建築で使われる用語です。その定義は文字通り人間的な尺度のことで、建築や外部空間など人間が活動するのにふさわしい空間のスケールのことを指します。デジタルの進化がもたらしたブランディングデザインの危機は、必ずしもオンラインで解決することに限られるわけではありません。人間が活動するためにふさわしいスケールを“デザイン”することでその危機から逃れられます。
今後、ブランドの愛着と記憶を高めていくためには、ブランド・パーソナリティーを定義するだけでは不十分です。そのブランドが及ぼす顧客のヒューマンスケール、すなわち体験や経験を伴うような空間的な影響をブランド戦略の中で考える必要があります。それがC2C時代における必要な価値となるからです。
ブランドが時代や社会意識の変化に応じるものならば、常に価値や振る舞いを更新し、顧客と新しい関係を結び直すことが求められます。その結果としてつむがれるブランドと顧客との時間の中に、クローズドで唯一無二の物語が生まれます。その物語は一朝一夕にできるものでもなければ、誰かによって一方的に与えられるようなものでもありません。ブランディングデザインは、C2C時代において人とブランドとの間に結ばれる終わることのない絆づくりと言えるでしょう。
C2C時代だからといって短期的な視点で、その物語を伝える手段が、店舗なのかインスタグラムなのかを選択することが本質的な解決ではありません。終わることのない絆づくりを目指して、ブランディングデザインは顧客の唯一無二の物語をつくることがゴールです。その無限に続くゴールのために、私たちは狭義から広義、経営そして社会までの“デザイン”を行ったり来たりし、その試行錯誤を楽しめるか否かが求められているのです。
あふれるほど多くの情報に囲まれていても、顧客は意思決定を自らの視点や判断に委ねています。今後も、こうした自ら“考える生活者”が増えていくでしょう。このブランドが好きか嫌いかを明確に伝えることもC2C時代は簡単にできます。一方で、企業はユニークな広告やクリエイティブだけに頼らず、良い製品やサービスが売れ続ける仕組みを求めています。いわば“考える創り手”も増えています。“考える生活者”と“考える創り手”が深い絆をつくるために何が必要なのでしょうか。
そこで次回以降は、最新のブランディングデザインの事例を通して、そのブランドオーナーが持つ心持ちとその振る舞いに焦点を当てたいと思います。紹介する事例の数々は企業目線ではなく、体温や感情があり、人間味あふれるアプローチで、心の底で顧客と強いつながりを生み出しています。1回目は日清食品「カレーメシ」を取り上げ、ブランディングデザインによって、どのような顧客の愛着と記憶が生まれたのかを事例を通して見ていきます。
組織の中で“デザイン”の重要度を理解させたいと悩んでいる方、センスをどのように磨くべきなのか悩んでいる方、“デザイン”を活用して新しいビジネスモデルを創造したい方、デザイン思考に疑問を感じている方などに読んでいただき、これからやってくるC2C時代のブランディングデザインについて議論ができればうれしい限りです。
(日経クロストレンド2018年5月11日掲載の内容を転載しています。)